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自分の価値は他人にしか分からないが、その先にあるモノとは…?


どうも、キャリアプランナーの春木です。

最近、ボクはあることに気付かされました。

それは、「自分の価値は他人にしか分からない」についてです。

 

どういうことか、人は生まれながらにして競争社会に放たれます。
子供の時から比較され続け、大人になっても常に競争環境に身をおかないといけません。

そんなとき、自分が評価されなくて納得いかないことがあります。

 

「何で俺ばっかり」

「アイツはズルい」

「俺はこんなところで終わる人間じゃない」

 

上記に挙げたような主観的な言葉は、別に間違っている訳ではありません。

ただ、評価軸が常に自分なんですよね。

 

実際、評価するのは全て他人です。

私たちを評価するのは、常に「他」です。

 

会社であったり、学校、友達、彼女、家族、SNS。

自分という人間が何者かを決めるのは「周りにいる人々」だということです。

 

つまり、自分が価値があるのかを査定するのは他人な訳であり、

私たちはその評価を欲しくて頑張ってみたり、嘆いているということ。

 

しかし、ボクはそんな風に人の目を気にして生きることだけでは人生つまらない気がします。

人の悩みのは大半は、人との比較だと思います。

 

何かあれば、比べて比べられる。

自分の方が優れていたら一時の優越感を、

自分が劣っていたら長時間の劣等感を得る。

 

そんな人生を送っていたボクですが、ある時ふと思いました。

人の目を気にして生きてばかりいると、自分の人生の足跡が全く残っていないことに。

 

何を決める時は、必ず周りの目を気にする。

本当はやりたいことがあるのに、我慢して生きる。

会社を辞めたいけど、親や周りの人から否定されて行動できない。

 

別にこれらが悪いわけじゃない。

ただ、「それはあなたの人生ですか?」と聞きたくなる。

 

何かを意思決定するときは、必ず自分で選択をすることが必要だ。

なぜなら、自分で大事な決断ができないと言い訳ばかりの人生になる。

「親がこうしろ言うから・・・」

「家は貧乏だから・・・」

「今の会社は本命じゃないし・・・」

 

そんな人生、ちょっと悲しくないですか?

本当は自分のための人生のはず。

なのに、人のせい、環境のせい、機会のせいにしてしまう。

 

ボクは言いたい。

 

自分の価値は他人に評価されてしまうけど、

自分の価値観は自分しか信じることができない。

 

何のために、生きるのか。

その理由は、自分で持つ大切なモノだと思う。

どんなに周りに見下されても、自分の価値観をしっかり持っていれば他人の❝価値観❞を変えることができる。

周りに流されずに生きることは、自分を強く持つことだとボクは思う。

 

自分らしく生きてみる。

それが、いまのボクに発信できることです。