ハルはるcAreer。

キャリログ。

埼玉から高卒社会人の脱力キャリアを実践

「生きるぼくら」から田舎で生きる自由を手に入れた人生を考えてみた

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こんばんわ。

 どうも、脱力キャリアブロガーのハルはる@cccconstancy)です。

いとこの田舎が茨城にあるんですが、最近、墓参りしに行った際に改めて込み上げる思いがありました。

 

田舎いいね!って。

 

田んぼの匂いに囲まれながら、虫が鳴いている。

近所のおばちゃんが突然やってきて、煮物を分けてくれた。

都会みたいに時間に追われることなく、ゆったりとした時間を感じて茶でも飲んでいたい。

 

そう、僕は田舎での暮らしに憧れている。

ある本を読んでより、その想いが高まった。

 

本日紹介するのは、原田マハの「生きるぼくら」だ。 

 

引きこもりが稲作に挑戦するまでを描いた田舎の物語 

 この作品は、日常の「生きる喜び」というテーマを感じられる気がした。 

 物語は、かつていじめを受け高校を中退後に、引きこもりで24歳まで育った、 

「麻生人生」(あそうじんせい)

彼の母が突如、引きこもりの「人生」に嫌気をさし、家出。

 

その後、「人生」は、おばあちゃんの住む、長野県の蓼科(たてしな)へ向かう。

そこで出会う人達の影響もあり、田舎で暮らす「人生」が徐々に変化していく。

彼が、引きこもりから田舎での生活を通して成長していくそんな物語だ。

特に作中で出てくる、「稲作」については、僕も毎日食べているお米を作る大変さを知り、毎日の食べ物に感謝の気持ちが沸き起こった作品だ。

田舎でしか経験できない手間暇かかる仕事に打ち込む人々。

その人々の暖かさは、都会では決して味わえない、不便の中で育まれた確かなモノだと教えてくれた。

 

著者の原田マハさんも稲作をいちから学んだというから、こんなにも緻密な描写がしてあるのだと関心させられる作品となっている。 

 

生きるのに本当に必要な
モノ

主人公の人生は、田舎での暮らしを通して何を得たのか?

それは2つある。

 

1つは、生きるのに必要なモノは意外と少ないということだ。

人生のセリフにこんなのがある。

ここでの生活は、ひと言で言えば、「スローライフ」、

言い換えると「不便な生活」だ。

最寄りのバス停までは徒歩30分。

駅まで車がないと行くのが難しい。

いちばん近い商店は、無人の野菜販売所。当然、コンビニや自動販売機なんてものは皆無だ。

ひょっとすると、村の人口よりもシカの数の方が多いんじゃないかとさえ思う。

まったく刺激のない、おだやかな日常。

やわらかな光に包み込まれたような暮らし。

「生きるぼくら」より

 

上記の文章では、いかに田舎での生活が不便かを訴えかけている。

なのに、主人公の人生からは不満そうな雰囲気は感じられないのだ。

人生は、暖を取るのに火をおこす薪を割ったり、一緒に暮らすおばあちゃんが石鹸を手作りしたり、テレビも電話もない現代離れした生活の中でも楽しそうに生きている。

 

そこには、不便だからこそ手に入る自由があるんだと思う。

その自由ってやつは、手間暇を必要とする代償に、モノに対する「ありがたみ」ってやつなんだ。

便利になり過ぎた生活では決して味わえない、モノに対する感謝の念。

多くのモノに囲まれてしまっては決して気付くことができない、生きる上での必要なこと。

 

生活で必要なほとんどのモノは買わずとも、生きていける。

本当に必要なモノでも作ることができる。

生きる上でモノがなくても、手段はいくらでもある。

 

それを人生が気付き成長する姿に、胸に込み上げてくるものが僕にもあった。

「あぁ、田舎っていいな」って。

 

 

2つ目は、生きるのには、たった数人でも自分を必要とする人がいれば幸せということ。

 

以下、人生の亡き父からの手紙である。

最近、どうだ? がんばりすぎていないか? 人生、どうしているかな。あいつらしい『人生』を送っているだろうか。おれは余命数ヶ月、残された日々を生き生きと暮らしていこうと思っている。人生にはもう一度会いたいな。おれの命が、あるうちに。

「生きるぼくら」より

 

人には、自分が価値のない人間だと思う時がある。

 

何をやっても報われないし、つまらない生き方だと悲観し、何もかも投げ出したい時がある。

 

それでも自分の生きた道を振り返ってみると、親や友達、親戚のおばちゃんとか、過去に出会った人とは繋がった事実がそこにはある。

単なる思い込みで、自分は必要とされていない、なんて思わないで欲しい。 

悲しみ人は必ずいるのだから。

 

生きる上で自分を必要としてくれる人、そして自分のために生きていい。

そんな、大人になって忘れてしまう大切なことを、この本は教えてくれる。

 

自分らしく生きるためには、必要としてくれる人と自分のために、歩みたい方向に歩いていいんだよって。

そうじゃなきゃ、僕らは何のために生きているんだ。

自分のために好きに生きて、働いて、飯食っていいんだ。

 

 いまを生きるということ

 僕はこの本で沢山泣きました。

人が生きるのに必要な物って本当はそんなに要らなくて、少ない選択肢だからこそ、価値を感じて、一生懸命に「生」を全うできるのだと気付かされました。 

 

主人公の人生について序盤では以下のように言い表している。

絶望、というのを人間のかたちをしたら、いまの人生がそれだったろう。

 

この世のあらゆることから逃げ出したかった。

いじめられながら、どうにか日々を生き長らえているだけの、つまらない、ゴミそのもののような自分の「人生」からも。

「生きるぼくら」より

イジメにあい高校を中退し、仕事のも馴染めずに引きこもりとなった24歳。

そんな彼が自ら行動して、自分が生きる最高の場所を見つけて懸命に生きるのだ。

確かに目標や夢は大事なのかもしれない。やりたいことの為に生きる生き方も素晴らしい。

 

それ以上に、

いま自分が持っているモノと向き合い、目の前のいまを大事にする生き方は素晴らしい。

それは友達や家族、恋人、今までの人生でお世話になった人達のためでもいい。

自分よりも大切にしたいと思えるモノを手に入れた時、人は成長するんじゃないか。

 

僕は親に対して心から感謝してなかった。

金がない生活を強いられて、自分の人生の選択が狭まったから。

それは、おこがましいにも程があって、こうして今日も生きている状態を作ってくれた親には本当に感謝しないといけない。

 

そう考えると「父さん、母さん」って尊い存在だ。

分かってても、中々ありがとうの一言ですら勇気がいるけど、今度会った時には肩でも揉んであげたいと心から思う。

 

早く親孝行できるように、毎日脱力でがんばります。

ハルはる。 

 

↓本日紹介した本

生きるぼくら (徳間文庫)

生きるぼくら (徳間文庫)