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伊坂幸太郎の重力ピエロから学ぶ、正義と悪は紙一重な件

 

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どうもキャリアブロガーのハルはる(@cccconstancy)です。

華金だぁ〜と思っていたのも束の間。

すでに日曜日の23時を迎えてしまいました。

明日から仕事や学校の人が多いと思うのですが、この時間を憂鬱になる人も多いですよね。 

 

僕も基本的には、ポジティブ松岡修造なのですが、大事な会議がある時は平社員の豆腐メンタルが崩れます。

 

仕事が嫌で嫌で仕方がない時の処方箋として僕がよくやることは、

紙になぜ仕事が嫌なのかを書き出すこと。

 

なぜ明日仕事に行きたくないのかを紙に書き出して見ると、客観的に自分を見つめることができます。

自分の気持ちが明文化されることにより、驚くほど心がスッキリします。

 

さて、今日は伊坂幸太郎 (著)の『重力ピエロ』という本を読んで、正義と悪について考えさせられたので書きます。

※ネタバレ注意

 

重力ピエロについて

はい、小説のあらすじはこうです。

<あらすじ>

兄は泉水、二つ下の弟は春、優しい父、美しい母。家族には、過去に辛い出来事があった。その記憶を抱えて兄弟が大人になった頃、事件は始まる。連続放火と、火事を予見するような謎のグラフィティアートの出現。そしてそのグラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。謎解きに乗り出した兄が遂に直面する圧倒的な真実とは――。溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに。

『重力ピエロ』伊坂幸太郎(著)

Amazon CAPTCHA 引用

 

重力ピエロの話を抽象的にネタバレするとこうなります。

①とある家族には過去に辛い出来事があった。

②その家族の母親は過去に強姦され、その時に生まれた子どもを育てている。

強姦で生まれた子どもとは別にもう一人の子どもがいる。

③強姦犯は数十年の時を経て、家族が住む街で生きていることが判明。

④大きくなった子ども(強姦で生まれた子)は、母親の復讐をするために強姦犯を殺す

 

不足情報を付け加えると、以下の通りです。

・宮城県 仙台の話

・母親は弟が高校生・兄が大学生の時に交通事故で死んだ

父親も癌で物語終盤で死んでしまう

・弟は強姦犯が街で強姦を行った場所に放火して、浄化をしようとする

 

強姦で生まれた子どもを本当の家族のように育て、愛し、生きていく両親。

そんな家族愛を痛いほど分かっているからこそ、犯人を恨む子どもたち。

もし自分の家族に同じできごとが起きた時、同じように生きていけるのか。

 

罪には必罰をテーマにしたこの作品には、人間の正義と悪を問われているような気がしました。

 

たとえ犯罪だとしても罪には必罰なのか

物語に出てくる弟は、母親をレイプした強姦犯を罰するために殺してしまう。

世間的に考えると人を殺しているだから、犯罪だ。

この犯人は当時、高校生ながら数十人の女性を強姦した。

まだ法律的には子どもであったことから、懲役数年で出所して何食わぬ顔で犯人は生きていた。

悪びれた様子も、反省した様子もない。

驚くべきは、今度は強姦を行った同じ街で、売春斡旋を行っていた。

 

犯人が行ったことで多くの人が傷つき、人生を狂わせられ、また犯罪を犯そうとしていた状況。

この状況を理解した上でも、犯人を殺してしまうことが罪となってしまうのか?

人を殺してはいけないことは殺人罪で裁かれる対象だから駄目なのか。

一つの罪で多くの罪を防ぐことができたとしても、それは悪なのか?

 

これは映画「重力ピエロ」に出てくる、強姦を弟が殺害した後のシーンです。

弟『自主するよ。警察に行くよ。』 

兄『お前がやったこと(強姦犯を殺したこと)は悪いことじゃない』

弟『でも、世の中的にはそうじゃない』

兄『そんなのどうでもいいよ』

兄『お前はきっと、自分がするべきことを今まで何百回、何千回と悩んで答えを出してきたんだ。そうして考えた結論を、裁判官とか検察官にとやかく言われる筋合いはないよ。お前以上にこのことを真剣に考えられるやつはいないよ。』

映画「重力ピエロ」より

 

 自分が出した結論が世間的に、法的に悪いことだとしても、

その枠組みを越えた正義がそこにあるとすれば、そんなの関係ないかもしれない。

そんなことを考えさせるシーンでした。

 

正義と悪の違いについて

正義ってなんですか?

悪ってなんですか?

こんな質問に応えられる大人はどれほどいるのだろうか。

 

たとえば、アンパンマンが正義でバイキンマンは悪だとする。

ジャムおじさんやバタコさんが正義の味方であり、ドキンちゃんが悪の味方である。

悪はいつだって邪魔モノ扱いをされ、正義が悪を倒すのがセオリーとなっている。

悪を滅ぼすために正義は頑張っているのに、何十年もバイキンマンはいなくならない。

なぜだろうか。

 

そもそもこの構図は、バイキンマンが悪という状態で存在しているから、アンパンマンが正義であることが認められると思うんです。

バイキンマンが悪でなければ、アンパンマンも正義でなくなります。

アンパンマンの目的は、「バイキンマンからみんなを守ること」(正義)です。

バイキンマンの目的は「アンパンマンを倒すこと」(悪)です。

 

つまり、正義も悪も一対になっています。

バイキンマンが正義にもなり得るんです。

一歩間違えれば、アンパンマンが悪になってしまうことだって考えられます。

 

世界平和が難しいといわれるのは、悪を失くすと同時に正義もなくなってしまうから、

誰かが悪となる、悪の犠牲者が発生するのではないでしょうか?

 

そんな、自分の不甲斐なさを感じる気持ちに浸りながらも、重力ピエロで号泣してしまいました。

あなたは正義と悪をどうやったら仲良くさせてあげられると思いますか?

 

最後に、これも映画「重力ピエロ」にでてくる、好きなセリフを紹介して終わりにしまう。

 

ガンジーはね、自分自身がこの世でみたいと思う変化になりなさいって言った。

自分自身がこの世でみたいと思う変化になりなさいって。

 

ということで、今日はここまで。

では、また明日。

 

ハルはる。

 

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