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「カッコイイ」かどうかを判断基準にすれば、後悔のない決断ができる

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「後悔のない決断をしたい。」

 

仕事において、人生において、判断と決断に困ることがある。

続けるほうがいいのか、やめたほうがいいのか。

 

こちらを取るほうがいいのか、あちらを取るべきなのか。

人生とは、そういう判断の繰り返しと、決断を強いられる気がする。

 

正しい判断をする時もあれば、誤った判断をする時もある。

そんな正誤を繰り返し、 最終的に全部ひっくるめて正しかった、

振り返った時、そう思える決断をしたい。

 

そんな、”後悔のない決断”をしたい。

 

とはいえ、判断をいつも悩み、苦しみ、胃がキリキリ痛くて、決断に時間が必要なときが、人生には必ず訪れる。

 

では、そんな時どうすればよいか?

 

●目次

 

「カッコイイ」かどうかで人は判断をする 

これ、ふざけているように見えて、 意外といい判断基準になる。

 

「カッコイイ」かどうかで判断する人は、実は多い。

 

車を買う時、見た目が「カッコイイ」かどうかで買う人がいる。

20代の若者は、20%が車の見た目を重要視する。

5人に1人がだ。

「車を買う時の基準 見た目」の画像検索結果

車選びで重視するポイント!20代と親世代ではどう変わる? – 中古車・中古車情報のオークネット.jpより引用

  

車に限った話ではないが、「カッコイイ」を判断基準で行動すると、失敗するケースもある。

「カッコいい」を、勘違いしているケースだ。

 

他人からのカッコイイを求めてはいけない

多くの人は、判断をする時、

「他人がカッコイイと思ってくれるのか」

「周囲の人がカッコイイと言ってくれるのか」と、

「他人がカッコイイと思うか」を基準にしている。

 

「これは、カッコよく思われそうだから取り入れよう」とか、

「これは、カッコ悪いと思われて恥ずかしいからやめよう」とか、

他人のカッコイイを求めて、判断している。

 

別にこれが悪な訳ではない。

だが、本当はこれがカッコイイのに、他人がカッコイイと思ってくれるから、こっちにしようという判断は、”カッコイイ判断”とは少し違う。

 

自分のカッコイイを判断基準にする

他人が何と言おうが、”自分のカッコいいかどうか”を判断基準にしよう。

 

例えば、自分は全く異性との恋愛経験がなかったとする。

「こんな年にもなって、付き合った経験がないなんてカッコ悪い」と思う人は、

他人がカッコ悪いと言うだろう」という判断基準だ。

 

”自分のカッコいい”を判断基準にする人は、こう考える。

「恋愛経験がないことが、恥ずかしいなんて思うほうがカッコ悪い。

むしろ本当の意中の人にめぐり合うまで仕事ひとすじって、 カッコイイじゃん、俺。」

 

このように、「自分がカッコイイと思う」ことを基準にしたら、 別に慌てて異性を探さなくてもいいや、と気が楽になる。

 その分、仕事や趣味に時間を集中すればいいわけである。

 

「自分はずっと雑用ばかりを担当していてカッコ悪い」

と思っている新入社員は、

「こんな仕事、他人はカッコイイとは思ってくれない」 という判断をしている。

 

でも、他人が何と言おうが、

「雑用という仕事がなければ、この職場は円滑にまわらない。 この職場の雑用を誰よりもこなし、働きやすい職場をつくっている。カッコイイじゃん、俺」と思えるか。

 

「自分がカッコイイと思う」ことを判断基準にしたら、 人を雑用で感動させるほど、極めてみせようか、 そんな気力すら湧いてくる。

 

自分がカッコイイと思えることは、ブレない軸になる

習い事が続かない人は、

「他の人は別の楽しいことやっているのに」とか、

「こんなことやっても何の意味があるんだと言われそう」と、

他人からの見た目や評価ばかり気にしている。

 

でも、習い事でも何でも継続できる人は、 他の人の視線などかまっていないから、継続できる。

 

「他の人がやらないようなこれを打ち込んでいる自分、 カッコイイよな」とか。

「こんなことに一生懸命になっている私、けっこうスキかも」とか。

 

他の人はどう思っても、「自分はカッコイイと思う」 「自分はステキだと思う」、だから打ち込める。

 

カッコイイとかステキとかいう感情を選択基準にすると、 一見不純な感じがするが、そんなことはまるでない。

 

ブレない軸が作れるのだ。

「苦難の道を行く俺が、カッコイイ」と思う人は、 普通の人が選ばない複雑なほうばかりを決断する。

だから、上手くいく。

 

「何でも効率のジャッジができる俺が、カッコイイんだ」と思う人は、 いつも必ずスマートで効率的なほうばかりを決断する。

だから、上手くいく。

 

後悔するのは、軸が中途半端で決まっておらず、 「今回はお金がないから安いほうで」「今回は気分的にこっちかな」と、毎回ぶれた判断をするから。

 

ぶれた判断は、一貫した成果が出ない。

最終的に、自分が何をしたいのか分からなくなる。

 

「自分がカッコイイと思う」「自分がステキだと思う」 「自分がカワイイと思う」と、 自分を感じた判断基準に身を委ねていく。

そうすれば、中途半端ではない、ブレない軸で決断できる。

 

自分が自分をカッコイイと思うこと、 自分が自分をステキと思うこと、 自分が自分をカワイイと思うことは、どんなことか。

 

それを判断基準にできれば、”後悔のない決断”ができる。

「カッコイイ」かどうかを判断基準にすれば、”後悔のない決断”ができる。

 

まとめ

「カッコイイ」かどうかを判断基準にすれば、後悔のない決断ができる、でした。

<今日のまとめ>

・他人のカッコイイを求めて、判断してはいけない

・「自分がカッコイイと思う」ことを基準にする

・カッコイイとかステキとかいう感情を選択基準にすると、 ブレない軸が作れる

だから、「カッコイイ」かどうかを判断基準にすれば、”後悔のない決断”ができる。

 

自分も「カッコイイ」かどうかで判断をすることが多い。

「みんなサボっているから、自分もサボりたい」と思うときがある。

 

そんな時、こう考える。

「サボっている自分、かっこ悪いな。」

「むしろみんなサボっているとき、自分だけ頑張ってたら、カッコイイよな。」

 

面白いことに、そう思うとものすごく頑張れる。

そして”自分がカッコいいかどうか”で決断すると、大抵の場合、後悔はない。

 

以上。

今日はこんなところで。 

 

−書き手−

キャリアコンサルタントのはるきち(@harukichi_macho) 

 

〜「キャリログ。」では、高卒キャリアを歩んできたキャリアコンサルタントが毎朝7時に朝刊をお届けします〜

 

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