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化粧品製造工場で骨身に叩き込まれた「いま、ここ」を頑張ればキャリアは開かれる話

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私、キャリアコンサルタントの春木と申します。

 

埼玉県の工業高校を卒業後、18歳から社会に出て働いてきたので現在は27歳です。

 

学歴・職歴・スキルなしで化粧品製造工場に就職しました。

 

何の取り柄もなかったけど、誰にも負けないくらいに「学歴がなくても社会で通用してみせる」という想いだけは強くありました。

 

そんな私が歩んだ化粧品製造工場でのキャリアの作り方を、本日はお話したいと思います。

 

学歴がなくても自分の思い通りのキャリアを作りたい、そんな方に届けば幸いです。

 

 

化粧品製造工場の末端である製造現場からキャリアスタート

 

2013年4月。

 

桜が綺麗に咲き乱れている時期でした。

 

大手化粧品工場に入社しました。 入社理由は、男社会から少しでも解き放たれるため、女性が多くいる職場がいいと下心全開で会社を選びました。

 

入って気づいたのですが、私が入社して配属したのは工場です。

 

求人表に書いてあって目を引かれたはずの女性比率50%は、蓋を開けてみたらお年を召された女性の集まりで衝撃を受けたのは今でも覚えています。

 

仲良くなって「孫を紹介しようか?」と言われるまでになりました。

 

話が脇に逸れましたが、仕事内容はというと化粧品の製造作業だったんですよ。

 

具体的には、シャンプーやコンディショナーを製造するのが仕事内容。

 

ドラム缶やセメント袋に内包されている粉や液体を製造する機械に投げ入れ、工程表通りに朝から晩まで作るお仕事です。

 

高卒で入社した先輩が15名以上その職場にいたのですが、自分と全く同じ仕事をしていました。

 

「何年経っても、新人の自分とやっている仕事内容は変わらないのか・・・」

 

そんな絶望するキャリアのゼロどころかマイナスの気持ちでスタートしました。

 

 

工場の製造業務担当者でもコントロールできるコトに集中する3年間

 

「このままじゃ一生、製造現場でシャンプーのいい香りに包まれて老後を迎える」と危機感を抱き、毎日のように「自分にできそうなこと」を一歩ずつやりました。

 

まずはみんなが出社する朝1時間前から、「床磨き」をはじめました。

 

誰だってできますよね、「床磨き」くらい。

 

雑巾を片手に、事務所の床を毎日1時間磨き続けました。約1年間。

 

先輩や同僚には「どうせみんなが通ってすぐ床が汚れるから意味ないよw 辞めたほうがいいw」と言われながらも磨き続けました。

 

ある時、事務所に朝自分が床磨きをしている瞬間に工場長が来ました。

 

「歩いていて気持ちがいいね」と褒めてくれたんです。

 

上司もそれにあやかり「彼がいつも床を磨いてくれて助かってるんですよ」と褒めてくれました。

 

そしたら工場長は言いました。

 

工場長「今の自分にできることを一生懸命やる人間は、どんどん仕事を任されて貰えるよ。そういう人間を会社は必要としているのだから」

 

その言葉から人生が少しずつ逆転していきました。

 

上司から「春木、この仕事お願いできるか?」と、現場以外の仕事を頂けるんですよ。

 

他の部署からも「床磨きの春木」といじられキャラと化しつつも、「◯◯について教えて貰える?」「〇〇を調べてくれない?」と御用聞き的ポジションを獲得できたのです。

 

そんな仕事が18歳から3年続き、21歳になった頃。

 

「春木を必要としている職場がある。異動だからよろしく。 お前は目の前のどんなことも一生懸命になれるから期待してるよ。健闘を祈る」

 

上司に告げられ、工場では高卒で10年ぶりに化粧品製造部門以外への人事異動を果たしました。

 

↓工場現場時代の私(ドラえもんみたいなブルースーツを着て仕事していました)

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この結果を受け、私の中で「いま、ここ」を頑張れば、人生は少しずつ変わっていくかもしれない。

 

そんな気付きがありました。

ここから更に人生が逆転していきます。

 

現場の製造担当者が学歴も知識もゼロなのに、東大卒と化粧品を開発する世界へ

 

次に異動した部署は化粧品の開発と、工場での生産技術開発をする部署でした。

 

化粧品自体を生産するために、工場での立ち上げ開発する部署でした。

 

仕事内容はというと、市場に発売される化粧品を工場で以下に低コストで高品質、大量に生産できる技術開発をするのがミッションでした。

 

周りの先輩は9割が院卒で化粧品を研究・技術開発したくて入社している人ばかり。

 

しかも大学が「東大・京大・阪大・北大」など、名のしれた国立大学でお勉強一筋の人生を歩んできた人ばかりでした。

 

そんな中、床磨きと職場の御用聞き一筋の実績しかない高卒の私。

 

圧倒的力の差を感じる日々でした。

 

戦闘力530000のフリーザが目の前に立ちはだかる気分でした。

 

「製造現場に帰りてぇ・・・」と初日で心が折れます。

 

なぜなら、日々こんな会話が飛び交ってる訳です。

 

先輩「カルボマーが上手く水和しなくて、塩析が起きてしまっているからという仮説をフィージビリティでN=20でラボスケール検証を行いました」

 

上司「それってエビデンスある?温度などの第三因子の仮説は?試験プロトコルどんな感じ?」

 

春木「・・・・・・(カルボマー?ナニソレ?エンセキ?ナニソレ?プロトコル?エッ???)」 まず、話している言葉が8割分かりませんでした。

 

日本のはずなのに。 こんな風に頭を抱える日々です。

頭を抱えて一日が始まり、終わります。

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だって、私が知っている化学なんてH2Oが水ってこと、HYの366日がいい曲だってことくらいでした。

 

そんな訳で、化粧品に必要な化学知識を勉強する日々スタートです。

 

まずは有機化学の基本のキから始めました。

 

毎日毎日、高校化学の有機化学の参考書を片手に、「ふむふむ」となる訳もなく、先輩に「教えてください!」と1つ1つの単語の意味や使い所を聞いて学ぶ日々でした。

 

東大卒の先輩からは『「できない」と「やらない」には大きな壁がある。お前はできなくてもやる人間になれ!』と喝を入れられながら恥を捨て、小学一年生のごとく、分か んないことは分からないと素直に勉強し続けたんです。

 

そんな日々が5年経ちました。

 

高卒で学歴も知識もスキルゼロの私はどうなったでしょうか?

 

化粧品工場の技術開発を5年やって見えてきた成果とキャリアの作り方

 

5年の間に40製品以上の化粧品を世の中に売り出す開発に携わることができました。

 

その過程で様々な経験を積みました。

 

研究開発とマーケティング部門の橋渡し、新製造技術開発、BtoBの法人交渉(業務委託)、特許取得、経営層への提案・報告、プロジェクトマネジメント。

 

上記の仕事を通し、表面的な仕事を覚えるのではなく、本質的に「会社の問題や課題をあぶり出し、解決すべき問題に対して有効性が高い打ち手を講じて成果を出す」ことが身につきました。

 

その頃にはこんな風に研究員っぽく、顔にも自信がついてきました。笑

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そして5年続けた結果、10名以上いる開発部署のNo.3まで登りつめることができたんです。

 

職種も大卒と同じ総合職に登用することができ、25歳の頃には年収は500万を越える状態になりました。

 

結論、どんなに学歴や知識もスキルがなくても、今いる場所で、本気になって目の前の仕事を続けさえすれば、成果を出すことができる。

 

改めてそう実感しました。

 

これは新入社員の時、床磨きを本気でやってきた原体験があったから。

 

何事も手を抜かず腐らず泥臭くコツコツやる癖が活きました。

 

ここでまた、当時の工場長の言葉を思い出しハットさせられます。

 

工場長「今の自分にできることを一生懸命やる人間は、どんどん仕事を任されて貰えるよ。そういう人間を会社は必要としているのだから」

 

その工場長こそが、後の株式会社資生堂の執行役員となる櫛田靖さんでした。

(現在は執行役員を退任しております)

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櫛田さんの言葉を信じ、やり抜き、私の人生に思いも寄らない結果をもたらしたのです。

 

そして、私が今回、最もお伝えしたいことを要約するとこうなります。

 

『どんな境遇でも、「いま、ここ」を頑張るということで成果は出せるし、自分のキャリアを変幻自在にする可能性は秘めているんです』

 

バカで何もできない私だから。

 

キャリア理論でも、有名な「計画的偶発性理論」というのがあります。

 

ビジネスパーソンとして成功した人のキャリアを調査したところ、そのターニングポイントの8割が、本人の予想しない偶然の出来事によるものだったそうです。

 

工場で骨身に叩き込まれた「いま、ここ」を頑張った結果、偶然に過ぎないキャリアだったかもしれません。

 

ですが、「いま、ここ」を頑張れなかったとしたら、きっと今のキャリアは存在していなかったのも事実です。

 

あなたはこの話を聞いて、どう感じますか?

 

お読み頂き、少しでも参考になればシェア頂けると幸いです。

 

最後までご精読いただき、ありがとうございました。

 

あなたのキャリアに幸あれ。

 

株式会社アウスタ

キャリアコンサルタント ー春木道洋ー

 

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