「バレなきゃ何やっても大丈夫だからw」
「別にお客さんこんなの気づかないから大丈夫よw」
「俺たちが楽して儲かるんだから問題ないからw 気づかないお客がバカなんだよ!」
社会に出ると、悪事を働く人が時々職場や周りに現れます。
若くてまだ経験が浅い20代サラリーマンに、先輩や上司が知らず知らずに毒を盛られるとだってあります。
その毒も一度味わってしまったらやめられない「中毒」になる人を見てきました。
「中毒」になると「仕事なんて成果出すためにバレなきゃ何やってもいいんでしょw」と完全に思考回路が侵されるんですよ。
そういう闇金ウシジマくんに出てくる、詐欺師のモブキャラだったり騙されたりする側には絶対なってほしくない。
そんな想いで本日は、「網恢恢疎にして漏らさず」ということわざを紹介させてください。
- ことわざ 「天網恢恢疎にして漏らさず」の意味
- 「天網恢恢疎にして漏らさず」に学ぶ判断基準
- 「天網恢恢疎にして漏らさず」に背いた成果は致命傷になる
- 「天網恢恢疎にして漏らさず」に従い、まっとうな成果を挙げる方法
ことわざ 「天網恢恢疎にして漏らさず」の意味
「天網恢恢疎にして漏らさず」は「てんもうかいかいそにしてもらさず」と読みます。
「噛まずに言えるかな」って感じですよね。
多分、わたしも暗記で書くことは長澤まさみと結婚するくらい不可能だと感じます。
「天の道とは厳正なものであり、悪さをすれば必ず天罰が下る」という意味のことわざみたいです。
「天網(てんもう)」とは天に張り巡らされた網、「恢恢(かいかい」は大きくて広い様子、また「疎(そ)」は目の粗い状態を表しています。
つまり、天が悪い人を見つけ出すために張り巡らされた網の目は粗野で粗いかもしれないが、悪人は誰一人として逃すことはない」という意味です。
すなわち、厳粛で嘘や悪を逃さない天道には逆らうことはできず、最後に罰が下り報いが下りるという教えのようなことわざとも言えるでしょう。
相手が悪事を企んでいる際に「悪いことをすると天罰が下るよ」という戒めの意図を込めて使うらしい。
とはいえ、ですよね。
具体的に何を基準にして、悪の道への一歩を踏み出さないように気をつければいいのか。
また、仕事をしていく上で悪事となり得るかどうかは何を基準としているのか。
「天網恢恢疎にして漏らさず」に学ぶ判断基準
「悪事を働きたいんです」という悪者は、「フリーザ」とか「ルパン三世」くらいでしょうか。
多くの人は「うわっー、知らずに悪いことしちゃったよ。。」みたいにうっかり悪事を働いちゃうパターンばかりです。
では、どうしてそうなるか?
悪事となる基準を知らないからです。
悪事になるかどうかの判断基準になりますね。
以下のような判断基準を持っていれば、ほぼ100%悪事に遭遇することはないでしょう。
「法律・社内規則・会社方針・個人の道徳」すべてにおいて、反していない行動であるかどうか。
たとえば、個人の道徳が優先されて「法律違反の横領」を国会議員が働いたりします。
「社内恋愛禁止」という規則を破り、個人的に恋愛をすることで懲戒処分を受ける例もあったり。
他にも「会社方針」を知らずに個人の判断で、売る必要がない商材を営業して「業務命令違反」と悪く評価をされたりします。
優先順位においては、このようになります。
「法律>社内規則>会社方針>個人の道徳」という優先順位です。
あくまでも、感情やばらつきが大きい「個人の道徳」は最終の判断基準になります。
法律・社内規則・会社方針に背く行為は、基本的にNGと覚えておけばOK。
ですが、「別にバレなかったら特に問題がない」というのも事実だったりします。
世知辛いですが、それは現実ですね。
それでも、わたし個人の意見としては、やっぱり悪事を働いてまで成果を求めることに意味はないと考えます。
「天網恢恢疎にして漏らさず」に背いた成果は致命傷になる
仮に犯した悪事がバレた場合どうなるか。
信頼と信用が一気にマイナスに転落するでしょう。
どれだけ大成功を収めても、それ自体が不正となり無かったことになるんです。
それだけでなく、その後の仕事も信用と信頼が一切得られず、社会的に抹殺に等しい状況に陥ります。
一時は大きなプラスとなる成果を出しても、もし悪事が公になった場合には大きなマイナスになるのです。
一度なくした信用を取り戻すには、最初に信用つくる以上の苦労が伴います。
家族、友人、恋人や妻、会社の同僚、はたまた社会から信頼・信用を失う状態になるのです。
そこまでのリスクを犯して、悪事を働くことにどれだけの意味があるのでしょうか。
悪事を働いて一時の成果を求めるより、まっとうなやり方で成果を挙げることだってできます。
「天網恢恢疎にして漏らさず」に従い、まっとうな成果を挙げる方法
仕事で姑息な手段を使って、相手に勝ちたくなる時や成果を挙げたい気持ちも分かります。
それが本当に「悪事を働いてまで欲しいことか」を考え、いずれその悪事がバレて大きなマイナスになるならば、やる意味はないのでは?と話しました。
じゃあまっとうな方法で成果を挙げれたら、わざわざ悪事に手を染める必要ももないかと思います。
その方法はやっぱりこれなんじゃないと。
仁者は、自分が人の上に立ちたいと思ったら、まず他人を立たせてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる。
「論語」より
より全体のことを考え、実行する~守屋淳の、ビジネスに生かせる『論語』と『韓非子』(4) ~ | りそなCollaborare
つまりは、自分が成果を挙げたいと思ったら人に成果を挙げさせるべきなんです。
仕事だと、上司や先輩、同僚や後輩、そういった周りの人のために働くことがいいと中国2500年前の歴史が物語っております。
たとえば、自分が営業で成約を取れた新人2人がいたとしましょう。
Aくん「すべて自分一人で頑張って成約とれました!」
Bくん「すべて上司と先輩がサポートくれたおかげで、成約とれました!」
2人の報告いかがでしょうか。
あなたはどちらと一緒に働きたいと思いましたか?
あなたはどっちに良い評価をあげたいと思いましたか?
圧倒的に後者のBくんなんですよね。
上司や先輩は、あなたが頑張ったかどうかは見てて知っているケースがほとんどです。
それをわざわざ言ったところで、何一つプラスにならないんですよね。
ですが、Bくんのように上司と先輩の成果として、相手を立てる発言ができたとしましょう。
そうすると、上司と先輩から「おっそうか、コイツのためにもっとサポートしてやろう」と、次の仕事がより上手くいく可能性が高まるんです。
常に相手を立たせる気持ちがあれば、自分の仕事もどんどん上手くいき、成果を出しやすくなります。
だからこそ、自分が成果を挙げたいと思ったら人に成果を挙げさせるべきなんです。
仕事で評価されるために悪事を働いても意味がないので、人のためにまずは働くことが一番の近道なのでしょう。
以上。
今日はこんなところで。
−書き手−
キャリアコンサルタントのはるき(@harukichi_macho)
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