リバキャリ

リバキャリ‐Reverse Career‐

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リバキャリ
Reverse career

仕事は成長したいと願うほど、成長から遠ざかってしまう

「社会人5年目なのに、何でこんなに成長できないんだよ…」

昔の僕である。

 

今年で社会人8年目のサラリーマンだ。

新人の頃、成長ばかり追い求めていたのが懐かしく感じる。

 

以前、この記事でイチローさんが語った言葉が身に染みる。

成長とは、まっすぐに目的地へ

到着することではないんじゃないか

 

前進と後退を繰り返して、

少しだけ前に進む

 

つまり、後退も成長に向けた

大切なステップなんじゃないか、と。

イチローさんからのメッセージ2020 〜トヨタに入社した人たちへ〜より

 

若いサラリーマンの中には、昔の僕みたいに「成長したい!」と強く願う人もいるだろう。

 

だけど、焦って成長を追い求めると、成長できない自分に苛立ち、仕事が嫌になる。

昔の僕のように。

 

だから、もし成長したいなら、もっとこう、長い目で自分の成長を考えてみてはどうだろうか? 

 

 

成長とは何か?

成長とは何なのか。

よく聞く言葉で、こんなのがある。

「昨日できなかったことが、今日できることだ!」

 

なるほど、と思うがしっくりこない。

できないことができるとは、抽象的過ぎる。

 

たとえば、野球をやったことがない人が、

グローブの使い方を知ったら成長なのか?

 

これも立派な「昨日できなかったことが、今日はできること」だ。

何でもかんでも、成長という言葉に囚われ過ぎて、仕事を楽しめるのだろうか?

 

僕は楽しめなかった。

毎日、「成長!成長!成長!」と唱え続け、

自分に発破をかけ、得体のしれない成長を追い求め続け、疲弊した。

 

気づいたら、

「この仕事は俺には向いていない」

「もっと社外で刺激ある環境を探して成長したい」

「このままじゃ、将来自分のキャリアは成長しないに違いない」

そんなことばかり考えていた。

 

だけど、成長って追うものじゃないと気づいた。

そのきっかけは、信頼する先輩にこう言われて気づいた。

 

「お前が追い求めているのは、成長じゃなくて自己満足だろ」

 

僕は、ずっと自己満足を追い求めていたのだ。

仕事で成長したいと思うあまり、気づいたら自己満足に暴走していた。

 

同じ会社で働いて8年、強く思う。

おそらく、成長とは、ふと気づくものなのだ。

 

徹夜して作っていた資料が朝飯前になったり、与えられた仕事の道筋が一瞬にして頭の中で整理できる。

 

それは、追い求めてばかりの人間には決して手に入らない。

根気よく、我慢強く、目の前にある仕事に懸命に取り組んだ結果、ふと成長に気づく。

 

成長とは目指すものではなく、気づくものだ。

 

大人は成長しないが、適応はする

そもそも、大人の成長に違和感がある。

子供のように身体が大きくなる訳ではないし、根本的な考え方が変わることはない。

 

大好きなBooks&Appsの記事にこんなのがある。

blog.tinect.jp

 

この記事は「人は仕事で成長ではなく、適応しているだけ」という内容が、

学術的な資料と数々の書籍によってまとめてある。

 

これに僕も共感した。

メタモンが進化しないのと同じように、僕ら大人も進化みたいな成長はしない。

 

だが大人には適応力がある。

子供の時にできなかったことが、大人になり「なんくるないさ」と思うことが多々ある。

 

メタモンでいう、変身なのかもしれない。

 

例えば、僕は昨年ハーフマラソンを走った。

もちろん、走ることは辛い。

 

だが、子供のときよりも、明らかに辛くないのだ。

 

あれほど、体育の授業で走るマラソンは辛かったのに、

大人になって走るマラソンは「こんなものか」という感じなのだ。

 

不思議に思うが、このような現象が大人になると多々ある。

嫌いだったピーマンが食べれるようになったり、新幹線の移動時間が退屈じゃなくなった。

 

大人になり、適応力が増したのだ。

その根本には、学校とは異なる仕事という、毎日不確実な日々が大人の適応力を発達させているのだろう。

 

社歴と仕事の能力は必ずしも一致しない

「あの人は社歴が長いから仕事ができるに違いない」

そんな呪縛に掛かっていた僕である。

 

これも、成長を追い求めてばかりだった頃の話だ。

「社歴がないほど仕事がデキて当たり前だ!」と意気揚々とした。

 

だが、これは大きな勘違いであった。

百歩譲って、自分に求めてもいいが、人に求めることではない。

 

以前、人生は仕事だけで決まらないと書いた。

人には仕事以外に、友達や彼女との時間を大切にしたり、子育てや趣味に没頭している期間があったりする。

 

その期間、仕事の優先度が下がってしまうことだってある。

だから「長く働いているから仕事の能力がある」とは勘違いなのだ。

 

もし自分が明日、癌にでもなって闘病生活を強いられたら、仕事の能力などあがる余地はないだろう。

 

冒頭にも述べた通り、仕事の能力は前進と後退を繰り返し、少しずつ身についていくものである。

 

だから焦って成長を追い求める必要はないし、人に対して期待することはよくない。

 

目の前の仕事を本気でやる、それだけで十分だ。

仕事ができない自分に不安になったら、いまは成長に向けた大切なステップと考えよう。

  

以上。

今日はこんなところで。 

 

−書き手−

キャリアコンサルタントのHARUKICHI.(@harukichi_macho) 

  

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