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リバキャリ‐Reverse Career‐

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Reverse career

自分にしかできない天職は存在しないし、大きな目標も必要ない理由

「自分だけにしかできない仕事を俺はやるんだ!」

社会人になりたての頃、そんなアツい想いを抱いていた。

 

だが、社会人になり8年、そんな仕事が存在しないことを知った。

僕はいま、大手化粧品会社の工場で生産技術エンジニアをやっている。

 

正直言うと僕は、今やっていることが本当に自分にぴったりの仕事かどうか、よくわからない。


適職かどうかもわからないレベルだ。

けっして、天職であるとはいえないだろう。

 

それでも今やっていることには、もの凄くやり甲斐を感じるし、楽しいと自信をもっていえる。

 

うんざりすることもあるが、ワクワクドキドキすることも多い。

まぁいい感じだ。

 

そんな僕が、最近思うのは、

”自分にしかできない天職は存在しないし、大きな目標も必要ない”ということだ。

 

 

自分だけにしかできない仕事は1つじゃない

僕は人より格別に優れていることはない。

好きなことに熱中していたら、それがそのまま仕事になってしまったような、

Youtuberのヒカキンさん元プロ野球選手のイチローさんを思い起こさせる運命の出会いはなかった。

 

実際この仕事こそ、一番好きなことかと問われたら、「いや、そうでもない」と即答さえする。

それでいいのだと僕は思う。

 

生産技術エンジニアという今の仕事、僕にとっては2つめの仕事だが、過去に紆余曲折して、ようやくしっくりするものが見つかった訳ではない。


目の前のことを全力で、石の上にも三年と言い聞かせ働いたら、結果そうなった。

目標を持って逆算するような頭の良さは僕にはない。

 

じゃあオマエはどんな仕事でもいいのか、選り好みせず何でも楽しめるのか、そう問われれるとそれは違う。

けっして、何でもいいという訳ではない。


イタリアンでも寿司でも中華でもカレーでも、何でも食べるからといって、旨かろうが不味かろうがどうでもいい訳ではないのと一緒だ。


それぞれに美味しいものがあって、美味しく食べるコツがある。

世の中、美味しいものはたった一つではない。

 

ところが、昨今は仕事のこととなると、

究極の逸品を求めたがる。

昔の僕がそうだったように。


自分にしかできない特別な仕事を得ようと試行錯誤し、自分が好きなことを是が非でも仕事にしようと一所懸命もがく人がいる。


試みるのはおおいに結構だが、それが叶わなければダメだとばかりに悲壮感が漂うのは気になる。


無限とも思える職業の選択肢だ。

その中に「自分にぴったり」が一つしかないと、仮定するのは無理がある。

 

人はけっこう潰しが利くし、誰しも向いていることはいくつかある。

絶対にある。


”何がなんでも天職につかなきゃ”と、焦ることはない。

 

自分だけにしかできない仕事は1つじゃない。

 

明確で大きな目標は別に必要ない

「実は俺、明日で会社を辞めます」と伝えられ、後輩が会社を去った。

 

高校卒業後に入社し、工場現場で2年ほど働いた奴だった。

毎日、同じような仕事の繰り返しに、飽きてしまったと彼は語っていた。

 

そんな彼は、工場を辞めて何をするかというと、”営業の仕事をやってみたい、

年収1000万稼ぎたい”と語った。

彼の最大の動機は、現状打破だった。

 

「工場で働き2年の歳月がたち、今のままではいつ何がどうなる、という明確な道しるべを持ちづらい。

何となく工場の業務に流されていくような毎日、ふと気がつけば歳を重ね、年齢が焦燥感の上塗りをする。

このままズルズルと日々を無為に過ごしていいのか?」


その状況に終止符を打つことこそが、会社を辞める最大の目的だったのだ。

 

彼のように、大きな目標に向かって邁進する、そんな人生こそ若者にふさわしく、どんな努力や辛さもいとわずチャレンジするに値する、そう彼の目には映ったのかもしれない。


それこそが、彼が自身の姿として求めているものだったのだ。

  

彼にも日々の生活に仕事に、目標が皆無というわけではなかったはずだ。

 

しかし、工場で過ごす日々では彼の鬱憤した気落ちが、”このままの俺でいいのか?”と、自問自答を繰り返させる。


”いつの間にか本来やりたかった大きな夢を、見過ごしてしまうのではないか?”と。


そんな恐れが焦りとなる。

明確で大きな、周囲にも宣言できる、大きな目標を持つことが、彼の切実な願いなのだったかもしれない。

 

だが、目標を持つことが目標というのは、なんか本末転倒の気がしてしまう。

人と自分を比べて恥じ入ったり引け目を感じる必要はない。

 

明確で大きな目標は別に必要ない。

 

それはなぜか?

 

大きな目標は強迫観念

先ほどの彼は、期待通りに明確な1つの目標に出会えなかったとき、何を思うのだろうか。


僕は彼の現状打破への渇望を十分に理解はできなかったが、こんな風に想いを伝えた。

 

「新しい世界は新しい刺激をたくさん与えてくれるから、それがきっかけになって今まで見えなかったものが見えてきたり、自分自身を再発見したり、今予期しないことが起こると思う。

 

でも、それがたった1つの大きな目標という形になるかどうかはわからない。

 

是が非でも目標を見つけなきゃ、何かひとつに絞らなきゃって思いつめない方がいい。

 

気持ちにゆとりのある方が、色々なものが見えてくるし、吸収力も発揮できるから。」

 

彼の例だけじゃなく、「あなたの人生の目標は何?」そう問われたとき、明瞭な答えがないと、居心地が悪い思いをする人がいる。


人に誇れる大きな目標を持つこと、

それ自体を必要不可欠のように思いつめてしまっては、

「大きな目標の強迫観念」だ。


人生に明確な1つの目標を持たないことを悪いことのように思い、それだけで引け目を感じてしまう。


目標がなく日々を送ることが人生を無駄に、時間を浪費しているかのように感じて、これじゃいけない、何とかしなくちゃと焦ってしまう。


状況が変化しないと自己嫌悪にすらなる。

そんな症状が少なからずある。

 

自分の現実を漠然とネガティブに思ってしまうのは、なんか勿体無い。

60歳を過ぎて、人生の究極の目標に辿り着いた人もいる。

目標って「出会うモノ」なのだ。

 

だから、自分にしかできない天職を追い求める必要はないし、大きな目標も無理に持つ必要はない。

 

まとめ

「天職」にしても、「人生の目標」にしても、「夢」も、探せば見つかるという類のものではない気がする。


むしろ、今を全力で生きていたら、ふとある日、出会うというか、向こうから何故か100%以上の確信を伴って、やってくるというか。

そんなモノのような気がする。

 

だから、今を全力で生きるべきなのかもしれない。

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漫画「ワンピース」より

今すでに自信のあるあなたは、それでよし。


確信なく不安に思うあなたは、「ある日」を楽しみにしつつ、「今」に全力投球でいきてみてはどうか。

 

共にがんばろう。 

 

以上。

今日はこんなところで。 

 

−書き手−

キャリアコンサルタントのHARUKICHI.(@harukichi_macho) 

 

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