「くだらねぇプライドなんて捨てちまえ」という人がいる。
プライドを簡単に捨てられるならば、おそらく、捨てたいと思う人も多いだろう。
人は簡単にプライドは捨てられない。
プライドには自分の生きてきた全ての時間が濃縮され、その人のある種、人格を形成しているからだ。
あのカイジですら、死のピンチに陥り、自身のプライドを保つために決死の覚悟で負けを受け入れた。
つまり人は、辛い時、苦しい時、負けた時、人はそこではじめて自分の価値を知り、自身のプライドが本物だったかを試される。
個人的には、”プライドは捨てるモノではなく受け入れるモノ”だと考えている。
今日はそんな話をしたい。
プライドを捨てると受け入れることは全然違う
「プライドは捨てるのではなく、受け入れるんだ」と教えてくれた人がいる。
その人は職場の先輩である、東大卒でかざらず仕事に励む先輩だった。
ある時、お酒の席で酔った勢いをいいことに僕は先輩に聞いた。
僕「先輩は東大っていう一流大学を出てますけど、東大のプライドとかってあるんですか?」
先輩「プライドあるよ。だけどプライドなんて何も生み出さないから、受け入れたかな」と言われた。
当時の僕は、「は、はぁ・・・」と答えてしまい、兵藤会長に地下労働施設に送られそうになる返事をしてしまった。。
けども、僕の好きな作家の中島義道さんの言葉を思い出した。
プライドを捨てる苦しさより、一流を目指す苦しさのほうが楽。
そもそも、今や過去のプライドに囚われているということは、過去や今以上に、進化しようとチャレンジできていないことです。
プライドは本来、未来の自分に持つべきで、過去や今の自分に持っても、
あまり役立つことはないでしょう。
人は過去の実績や栄光にしがみつきたくなる。
学歴を自慢したり、勤めている企業を誇りに思い、元カノに振られたプライドを取り戻そうと、よりを戻そうとする男もいる。
だけど、人はこれらのプライドを捨ててしまうと、開き直ってしまい、これはこれでイケてない気がする。
学歴は関係ない、大企業ほど使えない人が多い、女なんて世の中腐るほどいる、なんて極論を持ちだす人がいるからだ。
”プライドを捨てること”で失うことも多い。
だが、”プライドを受け入れること”は得るものが多い。
学歴はないから社会に出ても毎日勉強する、勤めている企業を自慢したいくらい仕事で成果を出したい、元カノがいたおかげで成長できた、なんて言葉が出てくる。
”プライドを受け入れること”は、前向きに人生が好転する考えとなるため、得るものが多いのだ。
我々は”プライドを捨てること”よりも”プライドを受け入れること”の方が重要かもしれない。
才能がないからこそ諦めちゃダメ
プライドを持つ以前に「才能がない」と何事も諦める人がいる。
僕自身、これまでの25年の人生で「才能がある」と思ったことは一度もないので、おそらく「才能がない」人生だった。
「才能がない」というプライドを受け入れた例を紹介すると、はじめの一歩の青木さんがいい例だ。
漫画をご存知の方はいわずもがな。
青木さんは、ボクサーとしての「才能がない 」からこそ、自分なりの試行錯誤と諦めの悪さ、いわゆる努力で才能を超えてきた。
ゴルゴもこう語る。
結果を左右する才能など、10%しか影響度がないと語る。
むしろ努力が倍の20%影響することを考えると、才能は努力でカバーできるとすら思えてくる。
「才能がない」と諦めるのはいかがなものか、考え直す人もいるかもしれない。
僕自身、「才能がない」からこそ仕事を頑張ろうと思うし、「才能がない」からこそ毎日色んなことに挑戦して学びを得たいと思う。
また、誰しも努力することで手に入れることが可能な才能がある。
それは「努力できる才能」だ。
「努力できる才能」は、最強だ。
努力を途中で投げ出したくなる時もあるが、僕の中で茂野吾郎の言葉が蘇る。
だから「才能がないのかな?」と不安になるとき、「まだ才能がないと言い切れるだけの努力はしていない」と、僕はいつも自問自答している。
できないことができたら楽しい
仕事において、プライドを受け入れ、才能にとらわれずに励むとある変化が起きる。
それは”仕事が楽しい”と思えるのだ。
人は基本的に”できないことができたら楽しい”という感情を持つ。
その感情は成長実感と呼ばれたり、自己肯定感が高まると呼ばれる。
これは人間が「生成発展」という理論に基づき、成長する生き物だからである。
この世に生を受けたものは、動物でも植物でも、そのままではいられない。
すべて成長し、より良くなろうとしているのだ。
人間も生まれてからは、ずっと赤ちゃんのままではいられない。
歩けるようになり、話せるようになり出来ることがどんどん増えていく。
僕らはそもそも成長するために生まれてきた。
ということは、”できないことができたら楽しい”と感じるのは、成長するために自動的に人間が持つ感情であることにも合点がいく。
僕自身、少しずつだけど、成長というものを、”できないことができたら楽しい”と感じて生きていきたいと思うし、赤髪の人が「泣いてもいいから、成長という壁を乗り越えろ!」とアツく激励している。
共にがんばりましょう。
今日はこんなところで。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
−書き手−
キャリアコンサルタントのはるきち(@harukichi_macho)
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