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人生の楽しさは「喜怒哀楽の総量」で決まり、辛いこと悲しいことがマイナス値にならない

 

「なんで、やったことない仕事に挑戦しないの?」

と僕は後輩にいった。

 

「だって失敗したら辛いし嫌じゃないですか」

と後輩は答えた。

 

そうか、なら仕方ない。

 

仕事においても人生においても、失敗はつきものだ。

失敗するのは怖いし、好んで失敗する人はそういない。

 

理由は単純で、”失敗することで損をする”と思い込んでいるからだ。

そりゃ、そうだ。

 

起業して失敗し、ウン千万円の借金なんて負いたくない、だからサラリーマンになった。

 

ところがどっこい、サラリーマンになっても、日々失敗するではないか。

ましてや、サラリーマンになって8年、未だに失敗することだってある。

 

このあいだ、間違ってメールで「いつもお世話になっております」と書いたつもりが、「いつもお世辞になっております」と誤爆し、謝罪メールを書いた始末だ。

 

そんな僕が、人生の楽しさは「喜怒哀楽の総量」で決まり、辛いこと悲しいことがマイナス値にならないと知った。

 

その理由について、今日は書き留めたい。

 

 

失敗して辛い想いばかりだった新人時代

僕は18歳から化粧品工場で働いている。

新人時代、失敗の連続だった。

 

工場の現場仕事では、毎日職人気質な先輩方に発破をかけられ、「もっとテキパキ仕事しろ!」と鍛え抜かれた。

 

スピード重視で頭がいっぱいになり、誤ってトラブルを起こしては、会社に損失を与えてばかりだった。

 

酷い時は、100万円レベルでの損失を出してしまい、「もう会社に顔出すのも辛い…」と酷く落ち込んだモノだ。

 

そんなことが、2年続いた。

おそらく、数え切れない失敗をしたが、少なくとも100回くらいは「会社を辞めてぇ…」と思った。

 

僕は何度も「この仕事は自分に絶対、向いていない」と自己暗示を掛けるように、会社を辞めたかった。

 

それでも辞めなかったのは、仕事は「己が下手さを知りて一歩目」であり、本当の成長はそこから始まると気づき、踏ん張れたからだ。

 

不思議なことにいま立ち返ると、間違いなく辛い経験があったからこそ、いま仕事が楽しいことに僕は気づく。

 

あの時の辛くて苦しくて、会社を辞めたかったマイナスな経験は、ムダじゃなかったのだ。

 

きっと、人生の楽しさは「喜怒哀楽の総量」なのだろう。

 

人生の楽しさは「喜怒哀楽の総量」で決まる

人生が楽しいかどうかの判断基準は、「喜怒哀楽の総量」にあると考えている。

 

苦しいことや悲しいことに直面したとき、楽しいことや嬉しいことがそれを癒やして人間性を回復させてくれると考える人がほとんどだ。

 

でも僕はそうは思わない。

苦しいこと、悲しいことは、時間が経てばいい思い出になるからだ。

 

悲しいことが起こり、その程度が10だったとする。

悲しみはマイナスの感情なので、マイナス10と表現しよう。

 

その後、楽しいことが起こってプラス10の感情が生まれる。

そのとき、悲しいことが楽しいことで癒やされ(相殺され)、プラスマイナス・ゼロになると多くの人は考える。

 

しかし僕は、マイナス10とプラス10を足すのではなく、それぞれの絶対値10を加えることで、総量が20になると考えるのだ。

 

つまり、この考えにおいては、人生において失敗したことがマイナスにならない。

 

だから、人生の楽しさが喜怒哀楽の総量だとすれば、いろいろなことに挑戦したほうが人生はより楽しくなる。

 

マイナスの感情にならないためにリスクを取らないのではなく、リスクを取ったことで仮にマイナス500になったとしても、死ぬときには絶対値の500として返ってくると考える。

 

それを裏付けるように、本田圭佑さんの言葉でこんなのがある。

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本田圭佑インタビューより

僕は人生は山あり、谷ありだと思っている。

谷はどれだけ深くてもいいんです。

その谷も、できるだけ人が体験したことのないぐらいの谷を

経験した人間だけが高い山に登ることができる。

それが僕の哲学。

本田圭佑インタビューより

 

山あり谷ありの人生は、そのときは辛く苦しいかもしれない。

 

山歩きをしていても、高い山や深い谷を登ったり降りたりするのは、肉体的にも精神的にも苦しい。

 

それでも、踏破したあとの達成感や爽快感は格別だ。

何の起伏もない平原をひたすら歩いているだけでは、けっしてその感覚を得ることはできない。

 

喜びも悲しみも、血となり肉となる

人間の幸福が喜怒哀楽の総量だと考えることで、チャレンジすることに怯む気持ちを乗り越えようという気持ちが芽生える。

 

そうは言っても、恐ろしく理不尽な理由でご家族を失った体験に傷ついている人に対して、悲しみもいつかいい思い出に変わるとは説得しにくい。

 

本当に悲しい体験をしていないから、お気楽なことが言えるんだと反論されてしまうだろう。

 

それでも僕自身は、あらゆる喜怒哀楽は人生を、自分自身を豊かに、人間的に成熟させるものだと信じている。

 

人生は、どんな人にとっても一種の旅路である。

その間のAでの体験をBでの体験によってなかったことにしたり、埋め合わせたり、相殺することはできない。

 

それぞれの体験、経験が、様々な感情や想いを通じて私たちの人生に奥ゆきや深みを与えているのだ。

 

思い出しても辛いこと、ほろ苦い想い、今でも恥ずかしい、情けないことがすべて消えるわけではない。

 

時とともに、それらを少し俯瞰して当時よりは客観的に眺められる余裕ができる。

 

それが懐かしい「いい思い出」になるかも知れないし、思い出すと今でも冷や汗ものの「いい教訓」になるだろう。

 

きっと我々は、自分が生まれながらに持っている順応力・適応力により、悲しみを喜びに変えていく人間の成長・成熟のポテンシャルを有している。

 

人生の楽しさは「喜怒哀楽の総量」で決まり、辛いこと悲しいことがマイナス値にはならない。

 

だから、どうか安心して挑戦をしてくれと、後輩に自信を持って伝えている。

 

共にがんばりましょう。

 

以上。

今日はこんなところで。 

 

−書き手−

キャリアコンサルタントのはるきち(@harukichi_macho) 

  

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