ハルはるcAreer。

キャリログ。

埼玉から高卒社会人の脱力キャリアを実践

僕は大人のようで大人じゃないのだけど、僕だけの話ではないと思う。

 

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どうも、脱力キャリアブロガーのハルはる@cccconstancy)です。

みんな毎日働いて、クタクタになって帰宅して、ご飯食べてお風呂入って、これが社会人の務めだ。

なんてことを言う気はさらさらないのですが、みなさん、今日もお疲れさん。

 

今日のブログは、、、。

 

 

僕は大人のようで子どもじゃん、って話をします。

 

気付いたら大人になっている謎

僕は今年で24歳になるのだけど、大人なのでしょうか。

大人の定義はさまざまあると思いますが、「大人」でググったら、こんな風に僕に教えてくれました。

 

大人で検索したら…

うし
大人
 
  1. 男のおとなを敬って言う語。特に江戸時代に国学者の間で師を指す。
     「鈴屋(すずのや)の―」
 
おとな
大人
 
  1. 一人前に成人した人。
    • 老成していること。
       「彼はなかなか―だ」
    • (子供が)おとなしいこと。静かにしていること。
       「坊やは―だね」
 
たいじん
大人
 
  1. 1.
    体が普通より大きい人。巨人。
     「―国」
  2. 2.
    おとな。成人。

Google検索より

 

一般的に使用されるのは、成人された人を『大人』と言っている気がします。

僕は、成人しているので、大人ってことでいいですかね。

 

今度は、

「大人」で検索したらこんな画像も出てきました。

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Google検索より

 

大人で検索したら、、

「大人が悩む姿」、「大人のおもちゃ」が真っ先に出てきてしまい、

世も末だなぁと思ってしまいました。

とはいえ、僕も立派な大人なので、真面目にブログを書きますよ。←

 

大人って、気付いたらなっているものだけど、自分からなりたくてなったわけでもない。

今日も世界に大人を量産していくのだけど、いま一度、大人について考えて見たいと思うので、お付き合い願いたい。

 

 

大人になるということ

日本語には、『大人しい』という言葉がある。

この言葉の意味は、以下の通りである。

おとなし‐い
大人しい
《形》
  1. 1.
    性質がおだやかで、人にさからったり騒いだりしない。
     「―・く引き下がる」
  2. 2.
    格別に目立たず、落ち着いている。
     「―柄の着物」

 

仮に、大人になることが上記のような条件を満たすことが必要なのだろうか。

「大人=落ち着きがあって言動や行動に余裕があり、人の迷惑になることを絶対にしない。社会に波風立てずに無難に生きていく。」

そんな風に聞こえてしまう僕だから、当然、「納得」の2文字などありゃしない。

 

 

なんで周りの目の色を気にして生きていく必要があるのか。

誰のために?

何のために?

こんなにも合理性がない、「大人だから」という理由で何かを我慢することが世の中には多すぎる。

例えば、大人だから『遊んでないで働きなさい』『服装に気を使いなさい』『言葉使いには気をつけなさい』とかだ。

きっと、社会に波風立てない処世術が崇拝されているのだろう。

 

「大人なんだから」といって「性」についてや「仕事」に対する一方的な価値観を押し付けてある一定数の人を苦しみ続けているのだ。

例えば、交際中の異性が『30歳 童貞』『30歳 フリーター』『25歳 風俗嬢』『25歳 家事手伝い』と聞いたとき、

「大人なのに…」なんて評論をしてくる大人が多すぎると思う。

 

大人になった瞬間、社会で生きていくルールをこんなに厳しくしてよいのだろうか。

そんな生きにくい社会をドロップアウトする人達もいるだろう。

子どもの頃に描いていた大人像とはかけ離れて絶望する人もいるだろう。

 

「大人になって生きづらさ(ストレス)」を理解して生きていく。

それが大人になるということなのだろうか。

 

僕は大人のようで大人じゃない

 

大人になることで、世間の常識という謎のルールに縛られるくらいなら、大人になりたくないと思ってしまうのは僕だけだろうか。

 

それでも、大人になるということは必然的にやってくる。

 

結局、大人になるということは、

こうして大人になってしまったことを考えだした瞬間だと思う。

 

子どもに戻りたいなと思ったら大人になった証拠だということ。

そんな言葉が、いまの僕には相応しい。

 

それでも、子どもの時のように17時の夕暮れまで公園で遊んだり、馬鹿みたいに何でも考えて質問してみたり、恥じを恐れずに生きていきたい。

もっと自由に生きていきたい。

 

子ども心も残しつつ、大人でもう少し足掻いてみようと思う。

 

ハルはる。

人生を、人の成長を加速させる死生観とは何かを考えてみた

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どうも、脱力キャリアブロガーのハルはる@cccconstancy)です。

気付いたら年越して、気付いたら1月も中頃で、このまま1年なんてすぐに終わるんだろうなぁと思います。

 

そんなことを思いながら、「死生観」を感じさせるこの記事を読みました。

www.shunya-hitomi.com

 

この記事を読んだ僕の感想は、

この歳で偉そうなことを申し上げますと、

『人生なんてあっという間だよ』

なんてところです。

 

偉そうに失礼しました。

 

 

さて、2018年の1発目の記事で、僕の『死生観』を書きたいと思います。

 

 

死生観とは?

まず、「死生観」を論じる前に前提としての説明をさせてください。

世間一般的な死生観とは、

『生死に対する考え方』でお願いします。

 

人は生まれながらにして、いずれは死ぬ。

これは過去・未来で普遍的な人間の宿命である。

生きる意味や死の意味は果たしてあるのか。

生きるのと死ぬのはどちらが辛いのか。

そんな話でございます。

 

何を当たり前のことを言ってんだ、このハゲは。

なんて声も聞こえてくるのですが、反論致しますと、

禿げてはないけど少し太ってます。 

小太りです。(最近、リンゴダイエット始めました)

 

そんな話は置いといて、死生観について僕は語りたいのです。

それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

なぜ人は生まれ、死ぬのか?

人は何のために生まれて何のために死ぬのか。

親に頼んだわけでもなく、この世に生まれてきてしまった。

そして、あと100年以内に絶対死ぬことが決まっているらしい。

 

こんな悲しいことがあっていいのか?

 

いうならば、マラソンレースで「死んだところがゴールだから頑張ってね」と言われたような状態だ。

こんな不毛なことがあるだろうか?

僕は死ぬと分かっているマラソンを走りたくない。

けど、走っても走らなくても『死ぬ』というならば、少しでも走ってまだ見ぬ景色を見たほうが得なのか。

 

あっ、でも僕は人間だ。

至って感情的な生き物、人間だ。

僕は、感情的に行動を起こす。

会いたい人には会うし、食べたい物を食べる。

カッコイイ腕時計は欲しいし、自分もカッコよくなりたい。

 

欲望が行動の原動力なのが、我々人間の本能なのか。

とはいっても、頑張っても頑張らなくても、結果は同じ。

だったら頑張らない方がマシじゃないか。

果たして本当にそうか。

努力したって叶わないのに頑張るの自分は馬鹿だ。

果たして本当にそうか。

 

これまでの人生でそう思うことは多々ある。

志望校の受験で失敗したり、好きな異性に振られる。

親の期待に応える就職や友達の目を気にした人付き合い。

 

自分の努力が報われるよりも、報われないことが多い人生に何を期待して頑張る必要があるのか。

 

だから、人が生まれて死ぬまでの時間なんて、ただの暇つぶし。

寝て待ってればいずれは死ぬ。

生きることにも、死ぬことに意味などないのだから。

 

そんな主張が3年前の自分だった。

 

が、

いまは、違う。

あの頃の自分は、『悔しかった』

ただ、その気持ちにやるせなさを感じ、人が生きるとか、死ぬとかどうでもいい。

どうせ死ぬ人生、くだらないと思っていた。

 

この悔しい気持ちは、行動したり考えたりして、決断しないと生まれてこない感情だ。

『何かを決断した』。

その回数が多ければ多いほど、悔しい思いは多いが、楽しかったことも沢山あったはずだ。

いまとなっては思い出となっているのが不思議なのだが。

 

 

人生は思い出作りだということ

 

早速、結論なんですが、なぜ人は生まれるか。そして死ぬか。

それは、『人生の思い出作り』のためだと思います。

死ぬまでに人は成長していき、老いていく。

時間軸は進み、歳を取り経験を積み重ねていく。

 

人の記憶は何のために存在するのか。

いいことも悪いことも、思い出すためにあると思ってます。

そして思い出すのは、自分が成長していき、老いて過去を振り返るとき。

人は死に近づくことによってのみ、思い出すことができる生き物。

だから、人は『人生の思い出作り』のために生きて死ぬと思うのです。

 

論理がかなり飛躍してしまって恐縮ですが、人が生きて死ぬことはそういうことだと僕は思います。

 

だから、その『人生の思い出作り』を今日もやってきたし、明日もやる。

そして、いつか死ぬ時に、自分の生きた記憶、アルバムというやつを見返して死んでいくんだと思います。

 

そんな感じで、今年は沢山思い出を作りたいです。

まだまだ、生きていたいので足掻いてやろうと思います。

 

 

 

ハルはる。

2017年を振り返ってもいいかい?(砂漠編)

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「2017年を振り返ってもいいかい?」

先日、友達とお酒を飲みながら、そんな切り口から今年を振り返ってみた僕の話です。

世間的には何だか色々あったんだなぁ、2017年。
「だなぁ」を語尾につけると、相田みつを効果を発揮するんだなぁ。ハハッ。

そんなことよりも、何があったんだ、2017年は。
正直いうと、俺は社会で起きたことに興味がさほど無い。自分に影響を受けることがあまりにも少ないから敬遠しがちなんだよな。いざという時には都度、考えたり勉強すればいいかなって。

君たちはね、何にもわかってないんですよ。
今年の日本では、北朝鮮のロケット問題、トランプ政権誕生、TWICEの日本デビューがあったんですよ。
もしですよ、今もこうして話している間に、北朝鮮がロケットを太平洋を目掛けて打ってきたらどうするんですか。
トランプが日本に対して厳しい税制措置とか、輸出・輸入制限をかけてきたらどうしますか。
TWICEのTTポーズが流行し過ぎて、「はい、チーズ」のポーズがあれで定番化してしまったら怖くて今日も眠れんですよ。
そもそも、あのTTは「 (ToT) 」のTTですからね。泣いてるじゃねぇか、ってことですよ。
世界が平和になるために僕はね、毎日ピースサインですよ。
僕のピースは、ビクトリーじゃなくて平和って意味ですけどね。
上記に挙げた、2017年で起きたことはほんの一部ですがね。
まぁ、結局何が言いたいかというと、僕はね、伊坂幸太郎の「砂漠」って小説が超好きなんですよ。
その小説の中に、こんなセリフがあるんです。
「その気になればね、砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」
だから、僕たちだってね、やればできるんですよ。いま、それをやろうとしなきゃ、いつやるんだって話なわけですよ。

確かにな。
いざという時にはやる、なんて豪語している奴は、いざという時が来てもやらねぇよな。
まぁ、俺もだけどな。ハハッ。
とにかく、2017年は俺らにとってハッピーな年だったってことでいいんじゃねぇの。
ハッピー、ハッピー。

お前らが言ってることは分からなくもないけれど、2017年を振り返ってみた結論が、「ハッピーだった」というのは安易に答えを出しすぎじょないのか?
もっとこう、あるじゃないか。
今年の目標で体重が〇〇kg痩せれたとか、彼女ができた、資格を取った、仕事で成果を出せたとかさ。
なんかこう、今年の生きた足跡をみんなで振り返ってみて、最終的に感じた感情を言語化したら、結局これだよねってなりたいんだよ。俺は。

僕はね、みんなにもっと今を生きて欲しいんですよ。
もっと目の前のことに全力になって欲しいんですよ。
いくら夢や目標を掲げてもね、目の前のことに全力になれない人が、もっとでかいことを実現できるわけないじゃないですか。
だから僕はね、やり続けましたよ、ゴミ拾い。
目の前に落ちてるゴミ、腐るほど拾いましたよ。
もうね、大宮駅のゴミを行政より拾ってやりましたよ。
そんな僕をみて、嘲笑う人がいるわけですよ。
四面楚歌という四字熟語をまさに、実生活で体験しましたよ。
でもね、そんなの関係ないんですよ。
人生なんてね、好きなことを好きなだけやればいいんですよ。
親や会社、友達とかね、そんな人の目を気にして生きたって、生き苦しいだけですよ。
それがね、一体誰のためになるっていうんですか。

ハハッ。
ゴミ拾いって、お前、何かの宗教と勘違いされてたよ絶対。
でもよ、自分が大好きだと思える何かを見つけて、それに打ち込むのってカッコいいと思うぜ。
だってさ、社会に出てみたらさ、そんな奴ほとんどいねぇーじゃん。
若々しい志高い奴も、いきりながらも頑張るけど、数年したら物静かになってるぜ。
最初の熱量がどこにいったことやら。
挙句の果てに、もっと他にやりたいことがあるんでお世話になりましたって奴もいるし。
まぁ、俺も似たようなもんだけどな。ハハッ。

話をまとめさせてくれ。
俺が話したかった「2017年の振り返り」はこういう議論じゃなかったけども、これはこれでもういいから。
一旦、小括しよう。
いや、もう長くなりそうだから、結論を出そう。
俺たちが過ごした2017年、確かに社会情勢が大きく動いた年だった。芸能人の不倫問題を皮切りに、国民が望んでいる情報が人の裏切りを暴くことだなんて、少し悲しかったけど。
他にも沢山いろんな事象があったけど、俺らが「いま生きている」っていう確かな事実はあるよな。
お前らの意見は全部、「いま生きている」から言えること。
何が言いたいかというと、お前らは俺の大切な友人だから、これからもよろしくってこと。
結局のところ、俺は来年もこの場で「2018年を振り返ってもいいかい?」と言わせて欲しい。それ以上でもそれ以下でもない。
何だか全く論理性のない答えになってしまったんだけど、これが俺なんだなって、2017年の最後に確認できて嬉しい。

何を今更いってるんですか。
空は青いとか、空気がないと人は死ぬとかね、そんな当たり前のことを言ってどうするんですか。ゴミを拾ってくださいよ、ゴミを。
2018年はね、大宮だけじゃなく、埼玉全域のゴミを拾ってやりますよ。
そしたらね、また来年ここで報告してやりますよ、お前たちに。
いいですか、僕はね、サン=デグジュペリになれって言ってるんですよ。(星の王子さまを書いた人)
彼はね、こう書いてるんですよ。
『どこか遠くの彼方には難破している人たちがいるんだ、こんなに多くの難破を前に腕をこまねいてはいられない、我慢しろ、今、ぼくらのほうから駆けつけてやるから!』ってね。
さらにいうと、「人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に忸怩たることだ」とも言ってるんです。
だからね、僕は、目の前で困ってる人がいるなら助けるべきなんですよ。
みんなね、夕方のニュースで、事件で悲しむ人を見て悲しんでる場合じゃないですからね。
悲しんでる暇があったら、何か行動を起こして助ければいいし、走り出せばいいんですよ。
だからね、つべこべ言わず、砂漠に雪を降らせればいいって話なんですよ。

そりゃあ、無理があんだろ。ハハッ。
まぁ、俺なりに2018年は頑張ってみるぜ。

俺は、もう少し社会情勢に目を向けて、「いま自分にできること」を増やせていけたらと思う。
だから、2018年は熱く冷静に頑張っていくわ。
そして来年、この場でお前たちと会えるのを楽しみにしてる。

 

 


2018年は、一体何が起こるんだろうか。
一昔前に、みんながスマホでLINEなんかいじってInstagramに写真投稿してる未来を誰が想像できただろうか。
まったく、便利な時代になったものだ。

いまとなっては、その衝撃は、昔に観た映画と同じ程度の感覚で思い返すくらいになり、結局、それは当たり前になる。
ますます未来が、テクノロジーが、人間の価値観が変動していく。
こんな激動の時代に、何かを頑張ることに意味があるのか。
昨日までの常識が今日の非常識になる時代に。
夢や目標を持っても、すぐにコロコロ変わってしまうのも、時代の移り変わりの速さを暗示させている気がする。

だったら、平凡な人生を歩んでいるのが一番幸せじゃないか。
無理せず、無難に生きることが大事なはずだ。
そんな声も聞こえてくる。
僕もそう思う。
変にリスクをとっても、危険しかないこのご時世に、誰が行動を起こすか。
じっくり腰を据えて、ただひたすらに待つことが大事なんだ。
そして、マジョリティが動き出すタイミングで自分も動けばいい。
大多数が選ぶ人生が、一番安全だから。
なんせ、日本は民主主義だから。
だから、無難な人生が一番幸せかもしれない。

 


なんてことはまるでない、はずだ。

 

 

おわり

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〜年末のご挨拶〜

お久しぶりです。
読者の皆さま、初めましての方も、

『今年も、本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願い致します』

さて本編では、フィクションもかなり織り交ぜてしまったんですが、著者の僕的には満足です。
超満足です。
感想頂けたら嬉しいんだなぁ。

2017年、僕は仕事に追われた1年でした。
化粧品会社に高卒で入って5年目の年です。
化学なんてまったく勉強したことないけど、高校化学の教科書を片手に、自分なりに走ってます。
工場で働いているんですが、生産技術って面白くて、日本はまだまだ、ものづくり大国の威厳を失ってないと思います。
ただ、現状維持では他の国に追い越されてしまうので、もっとイノベーションを起こして、時代にあったものづくりが必要なんだと思います。
2018年は、いったい何をどこまでやるのか、この長期連休で決め切れたらと思います。

さて、皆さんも2017年を振り返ってみたらどうでしょうか?

やれたこと、できなかったこと多々あると思います。
やれたことに目を向けてみたら、この一年、自分頑張ったじゃん。って、褒めましょうよ。
僕も褒めます。
それだけで、何だか今年がハッピーだった気がしますし。
ハッピーニューイヤーの前に、ハッピーディスイヤーでしょ。

今日で2017年が終わってしまうなんて、寂しいし、あっという間でしたよね。
2018年は、それ以上にあっという間にに終わりそうなので、しっかり自分らしく生きていかなきゃって思います。

自分らしくって何かを考えた時に真っ先に浮かんだのは、「笑う」ということ。
社会人って笑う機会が減ったなーと思ってて、仕事だからってのは勿論あるけども、それでも笑いが絶えない生き方をしたいと思います。

とりあえず厄年なんで、厄祓い死ぬほどします。
みんなに笑顔じゃなくて、厄を振り撒かないように。
そんな訳で、2018年もよろしくお願いします。

2017/12/31
キャリログ。 運営:ハルはる

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